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カラダにいい本
2014.01.14

内沼晋太郎さんが選ぶ
カラダにいい本。「踊る」編。

内沼晋太郎さんが選ぶ「カラダにいい本」。どうカラダにいいのか、それは読んでからのお楽しみです。

田中泯に初めて会ったとき、松岡正剛は「泯さんのカラダはどこまでなのか」と質問したという。ぼくたちのカラダはどこまでなのか?「たとえば子どものころに学校で『太陽の半径はどれくらいか』ということを学びますよね。でもぼくは最初からそのことにちょっと疑問をもっていた。だって、太陽の光は地球まで、ぼくたちの皮膚にまで届いているわけですよ。」たしかに個体としては、ぼくたちのカラダには身長や体重というサイズがあって、太陽の半径は決まっている。けれど、ときにカラダから発されるものは、周囲のどこまでも及ぶ。ぼくたちのカラダは、いつも同じ大きさであるわけではないのだ。

 

 たまにダンスを観る機会があると、帰り道にはいつも、自分のごく日常的なひとつひとつの動作も、ある種のダンスとして意識するようになる。家に着く頃には忘れてしまうけれど、ぼくたちは日常的に踊っていて、同時に踊らされている。長谷川一は日常生活に潜みぼくたちを踊らせる一連の仕掛けを〈アトラクション〉と呼んだ。「流される」の項では、自らがよく使う品川駅の動線処理が上手く行っていないところを指して「けれども半面で、それはひとびとの身体やふるまいにたいする管理・統制の綻びでもあり、わたしたちが生きざるをえない今日の日常のわずかな裂け目なのである。そこには、日常に違和感なく埋め込まれている『流されること』という〈アトラクション〉を別のゲームへと仕立てなおすための契機が潜在している」と書いた。

 

 たとえば品川駅で人とぶつかるときに、自分のカラダがいつも同じ大きさではないこと、日常のすべてがダンスであることを、思い出すようにする。踊らされてはいけない、ぼくたちは淡々と日常を、そしてときには激しく非日常を、踊らなければいけない。「われわれが太陽の光を浴びて暮らせるのは、どうしてでしょうか。『古事記』と『日本書紀』によると、アメノウズメが踊ったから、です。(中略)朝をもう一回呼び寄せるために踊った。アマテラスを、太陽を、光を再び呼び戻すために、夜の中で『をどりくるひ』、神々と笑いあったのです。このような素晴らしい神話を持つこの列島の人びとが、夜踊ることを禁止するなんて、滑稽です」と佐々木中は言う。「この世界に光をもたらすのは、われわれのダンスなのだと。」というわけで、踊ることについてもっと考えたくなった人のために、何冊かの本をご紹介。

 

■田中泯・松岡正剛『意身伝心』(春秋社)
同時代に生まれたダンサーと編集者のロング対談。それぞれが極めた「コトバ」と「カラダ」について惜しげもなく語り合い、名言がどんどん飛び交うエキサイティングな一冊です。

 

■長谷川一『アトラクションの日常』(河出書房新社)
「揺られる」「乗り込む」「流される」「ながめてまわる」「買物する」「セルフサービスする」「くりかえす」「複製する」「同期する」「夢みる」の10の視点から、〈アトラクション〉をキーワードに日常を読み解いていきます。

 

■佐々木中『踊れわれわれの夜を、そして世界に朝を迎えよ』(河出書房新社)
佐々木中さんの講演・対談などをまとめた、「アナレクタ」シリーズの流れを汲む5作目。表題作は、『踊ってはいけない国、日本』(河出書房新社)に掲載された、風営法やクラブ営業とダンスに関するインタビューの完全収録版。

内沼晋太郎
うちぬましんたろう
numabooks代表、本屋B&B共同プロデューサー。ブック・コーディネーター、クリエイティブ・ディレクター。

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